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2019年 08月 02日 ( 1 )


2019年 08月 02日

日蓮大聖人は仰せである。いざ日蓮の弟子となろうとも、世間の誘惑に負けほとんどは落ち、成仏するのはまれであると。

如何に純粋な信仰を貫くことが難しいことか、しかも鎌倉時代の封建社会である。車もスマホもインターネットも何もない時代で、自分の足と求道心、体力だけで仏道修行に励まなくてはならなかった。しかし現代人の様々な巷に溢れ過ぎている情報に翻弄されることなく、信仰に集中できた時代でもあった。最大の違いは日蓮大聖人にじかに会えられる幸せである。一目会えただけでも一生を否永遠に幸せになれる。つまり日蓮大聖人を恋慕し求めたら、時空を超え瞬時に大聖人と一体になれる。時代は関係ないかもしれない。信仰の純粋さとは、 如何なるスポーツや学問、芸術家や職人、あらゆる世界においても極める=成仏するという事は、道理から純粋性が求められる、日蓮仏法の場合仏道を極めるということは日蓮大聖人を求めるというよりは、報恩に重きがあるとOZNは解釈して離れない。つまり信仰の目的、何のために信仰が必要なのかである。日蓮大聖人は、だいたい仏の出現は衆生済度にある。釈迦仏法も四門遊勧から始まっている。つまり信仰とは、自分の幸せより他人の幸せに生きるからだ。つまり人間の苦脳=悲しみ痛みもがき怒り悔しさ無力感絶望感のあらゆる苦しみの解決解放不幸から幸せへと導くために仏は出現された。真理を説いて終わりでなく成仏させて満足し終わりなのである。つまり日蓮大聖人は我が身の事を分かっていただける最大の味方である。永遠に信じ悔いなく求めて弟子の道を全うできることは、ありがたいに尽きる。それこそあらゆる時代や社会条件、現代の地球を凌駕し大聖人に飛び込んでいける幸せ=万人を愛し励ます道に進む幸せ。代え難いことである。OZN主観



by ozn55 | 2019-08-02 03:51 | Comments(0)